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ミトクゴム面白館 4月号 |
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アテネオリンピックに旅立つ前、 知人から お守りをもらったという
福原愛ちゃんのニュースがTVで流れました。
お守りの文字は熱田神宮でした。
この神社が、 名古屋市民に【あつたさん】と呼ばれて
親しまれている「熱田神宮(あつたじんぐう)」です。
さて、下記の画像は、神宮の本宮拝殿の南(100mぐらいかな?)にある
「信長塀」です。
お参りの時、気がつかずに見過ごしてしまうほど 静かにたたずんでいます。 |
 信長塀↓
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これは、桶狭間の戦いの前に 神宮に立寄った信長が
「万が一、勝利したら塀を寄進する」と社頭で誓った結果の塀です。
土と石灰を油で練って固め、瓦を厚く積み重ねた築地(ついじ)塀です。
@三十三間堂の太閤塀
A西宮神宮の大練(ねり)塀
B信長塀
以上を 日本三大土塀と言われているそうです。 |
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神宮は 何度か建て直されており、明治26年以前は神仏習合で
五重の塔さえ存在し、現在のような 彩色を施さない素木ではなく
丹塗りだったようです。
尾張造りという社構には 建造物を囲む回廊など
独特な配置があったようです。かつて、信長塀は
それらの構成要因だったのかもしれません。 |
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桶狭間の戦いが1560年です。
2006年の今日まで風雨に崩れず現存するという事に
歴史の重みを感じます。
また 強靭な工法である事も実証されたことになります。 |
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信長塀と似た塀を 神宮内中央の広い参詣道から
一本東に入ったところで見ることができます。
清雪(せいせつ)門と呼ばれる門の塀です。
(能楽堂近く)
この門は、草薙神剣を盗んだ僧が
逃走した不吉な門ということで、
神剣が無事戻ったあと
元々本宮の北門でしたが、
開かずの門として現地点に
移築されました。
その為か 参詣の賑わいとは
対象的に大変寂しいところに
ぽつんとあります。
信長塀と清雪(せいせつ)門。
名古屋にいらっしゃった折り
ちょっとマニアックですが気にして
ご覧になられてはいかがでしょう。 |
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参考資料:「名古屋謎とき散歩」恩田耕治著、 「神様のすまい」熱田神宮庁発行 |

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